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【備前】
-たが じんじゃ-
鎮座地 岡山県瀬戸内市長船町磯上2889   ※旧・邑久郡長船町    
祭神 伊邪那岐命(イザナギノ ミコト)   
創建 ※嘉応(1169年)以前
由緒

創立年月日不詳であるが、柏山の住人赤枝某の家系によれば、嘉応(1169年)以前の創立である事が判明している。
社記に「赤枝織部藤原為房嘉応元年(1169年)事故ありて大和三輪の里より備前国邑久郡磯上村之内柏山に移り住む。為房大三輪明神の衛士なるを以て分神の御分体を多賀神の境内に勧請し、明徳元年(1390年)家族引連れ多賀神山の麓に住居す。」とある。

かつては寿命長久を守護する神社として近郡村より参拝する者が多かった。昭和20年6月26日、神饌幣帛料を受ける神社に指定される。

また境内社の美和神社は延喜式内社・美和神社であるとする説もある。

-岡山県神社庁HPより-

御利益 寿命長久
駐車場 数台
アクセス JR長船駅より東へ約3km。
備考 式内社。 岡山県神社庁加盟。
参詣日 05/5/4 (07/12/13 UP)
■コメント

JR赤穂線の長船駅より東へ3kmほど行ったところにある山の麓の集落内に鎮座。
多賀大明神とも呼ばれる。 近くには油杉山古墳がある。

この神社の境内社である美和神社が、式内社・美和神社に比定されるという説もある。
式内社調査報告によれば、『御領内寄宮記』に、同市同町福里の美和神社(美和大明神)を含む52社が、磯上の多賀神社境内に寄宮を建てて祀られていたと記してあるらしい。
この寄宮が、美和神社と称するようになったようだ。
その後、正徳2(1712)年に岡山市大多羅の句々迺馳神社境内の寄宮へ遷された。(明治維新後に同大多羅地区の布勢神社に合祀され、現在は大多羅寄宮跡となっている)

現在の多賀神社境内社・美和神社はその名残と思われる。   

【 社頭 鳥居 】

【 社頭 】

【 社頭 狛犬 】
備前焼の狛犬だが、劣化している。

【 手水鉢 】

【 参道 】

【 拝殿 内部 】
【 石碑 】


 
【 境内 狛犬 】

 
【 境内 手水鉢 】

【 拝殿 】

【 拝殿 内部 】

【 拝殿 内部 】

【 本殿 】

【 本殿 】

【 境内社 美和神社 】
この境内社・美和神社が、式内社・美和神社
ではないかとする説がある。
【 境内社 美和神社 】


【 境内社 稲荷神社 】

【 和気清麻呂像 】

【 社務所 】

【 鳥居 】

多賀神社 -たが じんじゃ-
 

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