【 備 中 】
吉備津神社
− きびつ じんじゃ −
鎮座地
岡山県岡山市吉備津 (字 宮内)       
祭神

大吉備津彦命(オオキビツヒコノ ミコト)ほか

創建
 
由緒

桃太郎のモデルになったといわれる、有名な吉備津彦命と温羅の戦いの伝説(吉備津彦伝説、温羅伝説)にまつわる神社。

第7代孝霊天皇の皇子の「五十芹彦命(イサセリヒコノミコト、のちの大吉備津彦命)」が、第10代崇神天皇の御代に四道将軍の一人として吉備平定のため派遣され、”吉備の冠者(かじゃ)”を名乗る「温羅(うら)」という鬼のような大男を倒した。温羅は”吉備の冠者”の称号を命に献上し、命は「大吉備津彦命」として平和と秩序を築き、この地に宮を造営し吉備の国の人々のために殖産を教え、仁政を行ない、長寿を以てこの地に薨去せられた。
社伝によれば仁徳天皇が吉備の国に行幸した時、御創建になったともいわれる。

-岡山県神社庁HPより-

[ 境内由緒案内板 ] [ 詳細 ]

御利益
延命長寿・交通安全など
駐車場
400台程度あり
アクセス
JR吉備津駅から徒歩約15分。
吉備津駅口バス停から徒歩約10分。  
ホームページ
備考

備中国式内社。 備中国一宮。 吉備の総鎮守。 岡山県神社庁加盟。
「鳴釜神事」が有名。

参詣日
05/1/3、05/10/24、06/1/1506/5/21 (06/06/30 UP)

■コメント
桃太郎のモデルになったといわれる、有名な吉備津彦命と温羅の戦いの伝説(吉備津彦伝説、温羅伝説)にまつわる神社で、おそらく岡山県で最も有名な神社。
古来は、吉備津神社とも吉備津彦神社とも呼ばれていたようです。
もちろん祭神は吉備津彦命。 また、吉備津彦命が倒した温羅の首を埋めたとされる鳴釜殿があり、釜の鳴り具合で吉凶を占う「鳴釜神事」は有名。

備中国式内社(大社)で、備中国一宮。 吉備(備前・備中・備後・美作)の総鎮守です。
吉備国が備前・備中・備後に分かれた時、備前・備後にも吉備津神社が分社され、それぞれの国の一宮となっています。 また、備前から美作が分国したときも中山神社として吉備津神社から分社されました(ただし、中山神社については諸説あり)。


かなり大きい神社なので数回に分けて取材。 サイト上も数回に分けて掲載します。

[ 境内案内 ]

 

【 旧社務所 】


【 旧社務所 】


【 旧社務所 】

【 旧社務所 】
 
【 旧社務所前 案内板 】

[ 拡大写真1 ][ 拡大写真2 ]
 

【 滝宮 】

 
 
【 宇賀神社の池 】



【 宇賀神社 】

[ 案内板 ]

【 宇賀神社 鳥居 】

   
【 宇賀神社 狛犬 】

 
【 宇賀神社 本殿 】



【 普賢院 山門 】

普賢院はかつて吉備津神社の別当寺だったそうです。
 
【 普賢院 】

 左側の建物は工事中でした。
 
【 宮内地区 】


 
【 宮内の鳥居 】


 
【 宮内 道標 】

[ 拡大写真 ]

【 宮内地区 】


【 宮内地区 】


【 宮内地区 】

 
【 宮内地区 】

 
【 宮内側 参道口 】
 
【 宮内側 参道口 】
 

【 板倉地区 旧・山陽道 】

 
 
 
【 板倉側 参道口 鳥居 】
 

 
【 参道 】
 
 
【 参道 】
 
 
【 参道 社号標 】
 
[ 拡大写真 ]
 
【 参道 灯篭 】

 
 
【 参道 】
 
 

 
【 参道 灯篭 】

一童社の裏にあります。一童社の鳥居なのか、
この先にある岩山宮の鳥居なのでしょうか? 
 
【 参道 鳥居 】

   
 

【 参道 案内板 】

[ 拡大写真 ] [ 案内板 ]
 
【 参道 交差点 】
 
  途中で国道180号と交差します。
 
【 岩山宮 鳥居 】

[ 拡大写真 ]
 
【 参道 灯篭 】
 
 
【 参道 】

 
【 参道 】
 
 
【 参道 】

 
【 駐車場横の建物 】
 
 社頭北側・板倉からの参道終点にある建物。

 
【 犬養毅像 】

逆光のため良く分からない写真となってしまいました。
[ 案内板 ]
 
【 吉備史跡県立自然公園 案内板 】
 
[ 拡大写真1 ] [ 拡大写真2 ]

 
【 吉備の国の旅 案内板 】

[ 拡大写真1 ] [ 拡大写真2 ]
 
【 遠くから見た参道 】
 
 



 
【 吉備の中山 鯉山 】

吉備の中山は複数の峰から成っており、吉備津神社は
その中の『鯉山(りざん)』のふもとに鎮座。
見た目が鯉に似ているため、そう呼ばれます。
[ 拡大写真 ]