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【 備 前 】
-あに じんじゃ-
鎮座地 岡山県岡山市西大寺一宮895  
祭神

五瀬命(イツセノ ミコト)
 配祀:稲氷命(イナヒノ ミコト)、 御毛沼命(ミケヌノ ミオト)

創建  
由緒

創立年月日は不詳である。

「続日本後紀」の承和8年(841)2月8日の条に『安仁神預名神焉(あにのかみみょうじんにあづかる)』とあるのが初見で、「延喜式神名帳」に備前国名神大社とある。
古くは「兄神社」又は「久方宮(ひさかたのみや)」と称したとも伝えられている。

御祭神は五瀬命・稲氷命・御毛沼命等である。この社地は、宮城山(みやしろやま)、別名鶴山といい、元宮は標高80メートル位の頂上にあった。
その後、備前藩主池田家の祈願所として現在の地に鎮座した。明治4年国幣中社に列せられ勅使の御参向があった。大正15年皇太子殿下が行啓され、祈年祭・新嘗祭・例大祭には幣帛供進使の参向などがあり、戦前(大東亜戦争まで)は荘厳で隆盛な神域であった。

昔はこの鶴山の麓まで海であり、入江の奥の良港だった。後方の山には磐座や列石があり、古代の祭祀跡と見られるところに、神武東征の船の「ともづな」を掛けたといわれる「綱掛石神社」などがある。

-岡山県神社庁HPより-

御利益  
駐車場 100台程度
アクセス JR西大寺駅より南東約7km。大王寺西バス停から北東約2.5km。 [ 案内板 ]
備考 式内社。 備前国一宮。  岡山県神社庁加盟。
参詣日 05/07/20 (08/08/06 UP)
■コメント

式内社で、吉備津彦神社・石上布都魂神社とともに備前国一宮とされる。延喜式神名帳では、名神大社とされている。祭神の五瀬命は、神武天皇の兄であることから『兄神社』とされ、兄の字が安仁に変化したものいわれる。
周囲はかつて海辺で、神社周辺は港だったとされる。付近には、神武が東征のときに立ち寄り、船の"とも綱"を掛けたという『綱掛石神社』がある。それと関係があるのだろう。
現在、綱掛石神社は安仁神社の境外社である。(ちなみに安仁神社参詣時、一緒に参ろうと思ったが場所が分からず断念。しばらく日が経って場所を発見し参詣した。)

元々は、 宮城山(鶴山)の奥深くの山頂付近に社殿があったが、1344(康永3)年に焼失。1705(宝永5)年に当時の岡山藩主・池田綱政により現在の地に新社殿が建てられた。その後、明治時代に改築されている。

境内は広く、社殿も大きい。さすが一宮である。境内には境内社の他に境内社などの遥拝所がいくつかある。

境内周囲は岡山県の郷土自然保護地域に指定されている。
また、新・西大寺八景の一つにも選ばれている。

毎年7月11日には『茅の輪くぐり』が、2月11日には『建国みそぎ』が行われる。

[ 案内板1 ] [ 案内板2 ]

【 参道口 】


 

【 道標 】

[ 拡大写真 ]
 

【 参道口 注連鳥居 】
【 看板 】
【 社号標 】
【 車お祓い所 】
【 社頭 狛犬 】
【 社頭 鳥居 】
【 石碑 】

[ 拡大写真 ]
 

【 境内 鳥居 】


 

【 境内 灯篭 】
【 手水舎 】
【 随神門 】
【 参集殿 】
【 石段 】
【 境内 狛犬 】
【 境内 注連鳥居 】
【 社務所 】
【 絵馬 】
【 境内 手水舎 】
【 宝物庫 】
【 拝殿 】
【 境内 】
【 拝殿 】
【 拝殿 米俵 】
【 拝殿 】
【 本殿 】
【 本殿 】
【 本殿 】
【 境内社 右補神社 】
【 境内社 荒神社 】
【 境内社 左補神社 】
【 境内社 稲荷神社 】
【 綱掛石神社遥拝所 】
【 天神社遥拝所 】
【 伊登美神社遥拝所 】
【 伊都岐神社遥拝所 】
【 出雲大社遥拝所 】
【 伊勢神宮遥拝所 】
【 境内社 水神 】
【 境内社 水神・御神水 】
【 滝神社遥拝所 】
【 案内標識 】


 

【 境内を臨む 】

[ 拡大写真 ]
 

【 遠くからの宮城山の眺め 】

[ 拡大写真 ]
 

【 遠くからの宮城山の眺め 】

[ 拡大写真 ]
 

安仁神社 -あに じんじゃ-

 

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